行願院とは
行願院とは
名 称 / 西岡山 西安寺 行願院
宗 派 / 真言宗御室派
開 山 / 天平勝宝6年(754)
開 基 / 鑑真和尚
本 尊 / 普賢延命菩薩(求財求児延命)
行願院は、倉敷市西岡の小高い丘にある真言宗御室派の寺院で、正式には「西岡山(にしおかざん)西安寺(さいあんじ)行願院(ぎょうがんいん)」といいます。
その歴史は古く、当院に伝わる縁起によれば、754年(天平勝宝6年)に唐より渡来し、奈良の唐招提寺を創建した鑑真和尚がこの地に寺院を建立、西安寺を開創したのに遡ります。慈照院をはじめ、来迎院、義燈院、大智院、宝積院、龍昌院、善勝院、長福寺、多宝院、龍樹院、十乗院、持国院、財善院の全十三坊があり、仏法繁栄の霊地とされていました。
その後、1607年(慶長12年)の大火によって、堂塔のほとんどが焼失しましたが、龍昌院と財善院はその災から免れ、財善院は1615年(元和元年)に、勢誉法印によって再興されています。
1678年(延宝6年)に、財善院の地内に本堂を遷し、さらには1699年(元禄12年)に、慈照院を財善院地所に遷すとともに、行願院と名を改めて、今日に至っています。再興当時を偲ぶ建造物として仁王門(倉敷市指定文化財)が残っており、移築解体修理の際に発見された墨書により、1648年(慶安元年)から1651年(慶安4年)にかけて建造されたものであることが明らかになりました。
当院北側には、墳長約80メートルと推定される旧倉敷市内最大の前方後円墳があります。また、山内一円には、西岡山八十八ヶ所があり、弘法大師の御跡を慕いつつ巡っていただくことができます。
境内からの眺望もよく、市街地を手に取るように望むことができます。
喧騒な日々のなかで、四季の移ろいに合わせ美しく咲く花々を愛で、安らぎのひとときを。
どうぞ、ご自由にご参拝ください。
普賢延命菩薩
「普」は遍く一切をさし、「賢」は最妙の善をさすといわれ、一切にわたる最もすぐれた善を説き、延命と福徳を与えてくださる仏さまです。
薬師如来(薬師瑠璃光如来)
左手に薬壷を持ち、私たちの病苦を取り除いてくださる仏さまです。
千手観音(千手千眼観自在菩薩)
千個の眼で人々の様子を観察し、助けの声(音)を観じて、すぐさま救いの手を差し伸べてくださる仏さまです。
四天王
四天王とは、仏教世界の四方を守護する護法神です。東方を護る持国天、西方を護る広目天、南方を護る増長天、北方を護る多聞天からなります。当院の各像は、持国天・増長天が平安時代後期、広目天は室町時代、多聞天は江戸時代の作とされています。
涅槃図
涅槃図とは、釈迦が亡くなる(入滅する)場面を描いた仏画です。
行願院本には登場する人物たちの横に短冊型のスペースがあり、名前が記入されています。
旧箱の蓋に「涅槃像箱阿曽治善四郎殿御寄進天正八稔庚辰 五月吉日 西岡山常住」と墨書があり、箱を作った天正8年(1580)に先立って制作され、寄進された絵と考えられます。
曼荼羅
曼荼羅(マンダラ)とは、本質を有するものという意味で、仏教の中でも特に密教で考えられている世界観を図画で示したものです。私たちに菩提心(悟りの心)を発させ、成熟された仏果へと導いてくれるものです。金剛界曼荼羅の金剛とは、ダイヤモンドの意味で、何者にも砕かれず揺らぐことのない大日如来の智慧の世界を表しています。胎蔵界曼荼羅の胎蔵とは、子供が母親の胎内で慈悲に包まれていることに喩えて、この世の全てが大日如来の胎内に包容されるように、万物は大日如来の慈悲の世界に共存していることを表しています。
阿知潟古図
古くは島であった児島半島が、1618年に現在の倉敷市西阿知から粒浦辺りの干拓により「児島」は陸続きの児島半島となり、西側が阿知潟、東側が児島湾となりました。その阿知潟と呼ばれる浅い海域を表した絵図です。